13年離れていた宮城に戻ってきて、そしてこの Yuz farm & vineyard(ユズファーム アンド ヴィンヤード)を立ち上げました。ここに至るまでに色んな事があり、ずっと膨らませていた想いもありました。少し長くなりますが、目を通していただけたら嬉しいです。
〜自然豊かな七ヶ宿町〜
私は宮城県白石市に生まれ、高校卒業まで地元で育ちましたが、大学進学に伴い上京し、以来ずっと宮城を離れていました。本栽培地である七ヶ宿町は白石市の隣に位置し、そこには父方の実家があり祖父母が暮らしておりました。生まれ育った白石市からは車で30分ほどですが、盆地である白石市に対し、七ヶ宿町は蔵王連峰の麓に位置することもあり、県内でも特有の高冷地気候があります。思い返せば私も小さい頃、正月や夏休みなど親戚一同集まる際に、昼と夜の温度差を凄く感じた事を今でも体感的に覚えています。また、春の綺麗な雪解け水、夏の突き抜ける様な青空、見渡す限りの秋の紅葉、冬の一面の銀世界、この様に四季が明確に感じられ、その誰にも創り得ない自然の豊かさが今でも感じることができる場所です。祖父母はそんな豊かな自然の下で、米を中心に農業を営み続けてきました。
〜ワインとの出会いと造り手としての人生〜
大学は東京にある理系大学で食品について学びました。当初は機能性食品について興味を抱いて入学したと思いますが、学生時にアルバイトしていた酒販店での経験や、日本におけるワイン学の第一線におられた教授との出会いが、私の後の人生に大きな影響を与えてくれました。その教授と立ち上げた研究室の一期生として、大学そして大学院とワイン・ぶどうの研究に携わりました。
卒業後、大学でやってきた事を活かしたいと長野県にあるワイナリーに就職。入社1年目からぶどう栽培、ワイン醸造に携わりました。そこは、中規模ワイナリー(年間生産本数25万本程度)であり、品質と生産量がどちらも求められる状況で、ある意味で相反する事を同時に求められる環境でもあり、その達成のために多くの事を試行錯誤させていただき学ばせていただきました。2016年には学生時の研究と栽培・醸造の実務経験により、エノログ(Œnologues、ワイン醸造技術管理士)を取得。また、在職期間中、メーカーでありながら販売も自ら手がける会社であった事もあり、関西の某百貨店本店に出店した直営店の店長として、店舗経営にも携わりました。メーカーとしてワインの造りは勿論のこと、それをお客様に直接届けること、それも、どちらも触りだけでなく第一線で携われた経験は、今の私の大切な財産となっています。
その中でも、特にワイン造りにおいては、1製品年間10万本以上という大きなものもありながら、1樽だけの300本程度の極小ロットのものもあり、醸造の仕方、仕上げの仕方、管理や作業もそれぞれある上で、幅広い様々な試行錯誤をさせてもらえた事は、かけがえのない経験となりました。
〜ずっと抱いていた疑問と確信、そして決断〜
ワインに興味を持ち始めた学生の頃からずっと、隣の県である山形には沢山のワイナリーがあるのになぜ宮城県には無いのだろう(2010年頃)と思っていました。いちごを使ったフルーツワインはありましたが、ぶどうの、いわゆるワインはありませんでした。よく考えると、そもそもぶどうを栽培している人など皆無といっていいほど聞いた事がありませんでしたし、ましてやワイン用のぶどうなんて、農家は誰も見向きもしない状態だったと思います。でもずっと思っていたことがあって、気候的に難しいとかどうこうの前に、ただ単純にやろうとする人がいないだけなんじゃないか…と。後に仕事でぶどう栽培に関わることになってからも、体感的にもデータとしても、やって出来なくないし、充分可能性を感じていました。そんな中で東日本大震災があり、その復興に向かう新たなエネルギーの中で、少しずつ県内でもぶどう栽培やワイナリーの設立が起きてきました。徐々に徐々に、そんな声が大きくなってきたとき、新たな事に挑戦するという前向きな気持ちの大切さと、自分の中でずっと思っていた、やろうとする人がいないだけなんじゃないかということが疑問から確信に変わりました。と同時に、なら自分でやってみたいという気持ちが強くなりました。
前置きが長くなってしまいましたが、そんなバックグラウンドがあった中で、ぶどうは植えてもすぐには実がならない事実と、ワインとしての果実品質も樹齢にある程度比例する事を考えた時に、いつか地元でやれたらいいな…なんていう考えでは人生何回あっても満足いくワインは造りきれないかなと感じ、思い立ち、今ここに至ります。
そして、これは結果としてですが、祖父母が代々続けてきた農業についても、栽培する物は変われど途絶えさせることなく引き継ぐ事ができるかなと思っています。
栽培地として選択した七ヶ宿町は私が経験を積んだ長野の気候と、四季の流れが近いと感じており、私が目指すぶどう、そしてワインのスタイルにも合っていると考えています。もちろん農作物である以上、気候の急変や異常、獣害や病気、しいては自然全てとの戦いであり、そこには間違いなく様々な困難はあります。そんな中でも、一つ一つ、一年一年、着実に乗り越えていき、まずは目標とする七ヶ宿の風土を表現できる様な素晴らしいぶどうを造っていける様に努力していきます。
人間としてはまだまだ未熟な若造ですが、無限の可能性に対する前向きな挑戦につきまして、ご賛同ご声援いただければ嬉しく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
荒井 謙
Profile
荒井 謙(あらい ゆずる)
1989年生まれ。宮城県白石市出身。2人兄弟の長男。宮城県立白石高等学校卒業後、東京工科大学に進学。前山梨大学ワイン科学研究センター長である高柳勉教授との出会いから、同教授指導の下、研究室を立ち上げ、ワインの研究を行う(白ワインに含まれる味関連成分とその相互作用)。同大学院修士課程修了。その後、長野県にある中規模ワイナリーに新卒で入社。入社1年目よりぶどう栽培・ワイン醸造業務に従事。2016年、学生時の学術的研究及び栽培・醸造の実務経験より、エノログ(Œnologues、ワイン醸造技術管理士)取得 第147号。在職期間中、メーカーとしてワイン造りだけでなく、お客様に直接お届けする販売職や直営店舗での店長としての店舗経営にも従事。最終的には、ワイン醸造現場のリーダーとして、醸造管理、製品化業務に加え、新商品開発にも関わる。2019年に退職。地元である宮城県に戻り、栽培適地を検討、父方の実家があり自身も馴染みのある七ヶ宿町にて、将来のワイナリー設立を目指して、ぶどう栽培(醸造用・生食用)開始。